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名古屋地方裁判所豊橋支部 平成6年(ワ)133号 判決

名古屋市〈以下省略〉

原告(反訴被告。以下「原告」という。)

米常商事株式会社

右代表者代表取締役

右訴訟代理人弁護士

伊藤公

愛知県豊橋市〈以下省略〉

被告(反訴原告。以下「被告」という。)

右訴訟代理人弁護士

浅井岩根

主文

一  被告は、原告に対し、三三九四万一三五一円及びこれに対する平成六年四月二一日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  原告は、被告に対し、一〇一二万一三〇一円及びこれに対する平成五年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告のその余の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴を通じて、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

五  この判決は、第一、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  本訴について

1  請求の趣旨

(一) 主文第一項と同旨。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴について

1  請求の趣旨

(一) 原告は、被告に対し、五四五二万二〇〇〇円及びこれに対する平成五年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 被告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

一  本訴について

1  請求原因

(一) 当事者

(1) 原告は、名古屋、東京、大阪、豊橋(乾繭のみ)の各商品取引所の取引員であり、豊橋市内に豊橋営業所を開設している。

(2) 被告は、a接骨院という名称で接骨業を営んでいる。

(二) 小豆の委託取引関係

(1) 被告は、Y名義で、原告に対し、平成四年八月四日ころ委託証拠金を預託し、平成五年一月一二日までの間に、名古屋穀物砂糖取引所における先物取引を委託し、小豆につき合計五九五枚の建玉をし、これを手仕舞いした。

(2) 被告は、a接骨院名義で、原告に対し、平成四年一〇月七日ころ委託証拠金を預託し、平成五年一月一二日までの間に、名古屋穀物砂糖取引所及び豊橋乾繭取引所における先物取引を委託し、小豆につき合計四〇枚、乾繭につき合計一〇枚の建玉をし、これを手仕舞いした。

(三) Y名義の取引口座の精算

(1) 損失金等

ア 損失金 五九二八万四八〇〇円

イ 手数料 四三四万九〇〇〇円

ウ 取引税 一万七七四三円

エ 消費税 一三万〇四七〇円

オ 右合計 六三七八万二〇一三円

(2) 利益金等

ア 利益金 二三八三万六〇〇〇円

イ 証拠金 九〇〇万四六六二円

右のうち一〇〇万四六六二円は、a接骨院名義で被告が原告に預けた委託証拠金の返戻分である。

ウ 支払済み利益金

平成四年八月三一日 ▲三〇〇万〇〇〇〇円

エ 右差引合計 二九八四万〇六六二円

(3) 未払損失金等 三三九四万一三五一円

(四) a接骨院名義の取引口座の精算

(1) 損失金等

ア 損失金 二四〇万〇〇〇〇円

イ 手数料 三〇万七〇〇〇円

ウ 取引税 一一二八円

エ 消費税 九二一〇円

オ 右合計 二七一万七三三八円

(2) 利益金等

ア 利益金 一六二万二〇〇〇円

イ 証拠金 一〇九万五三三八円

ウ 右合計 二七一万七三三八円

(3) 未払損失金等 〇円

(五) よって、原告は、被告に対し、損失金等の未払債務金三三九四万一三五一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成六年四月二一日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は、(1)の枚数の点を除いて認める。その枚数は七三〇枚である。

(三) 同(三)の事実は認める。すなわち、損失金、手数料、取引税及び消費税並びに利益金の各金額は、別紙(三)売買取引一覧表A(以下「一覧表A」という。)に記載のa接骨院分を除いた各合計と一致するものである。

(四) 同(四)の事実は認める。すなわち、損失金、手数料、取引税及び消費税並びに利益金の各金額は、別紙(四)売買取引一覧表B(以下「一覧表B」という。)に記載のa接骨院の各合計と一致するものである。

3  抗弁

原告又はその従業員の行為は、次のとおり、勧誘行為についても受託行為についても、商品取引所法及び業界の自主規制規範に違反して違法性を有し、取引勧誘から取引終了に至るまでの一連の行為が一体として不法行為を構成するので、原告が前記先物取引委託契約に基づく請求権を行使することは、信義則に反し許されない。

(一) 自由な意思決定を阻害する不当な勧誘

被告に対し、原告従業員のB(以下「B」という。)は、確実な極秘情報を入手できるので、自己の担当する顧客はすべて利益を上げているなどと、原告従業員のC(以下「C」という。)は、相場の値動きは手に取るように分かるし、裏情報も入手できるので、損した分は自己が担当して取り戻すなどと、それぞれ述べて、何ら合理的根拠のないと思われる勧誘を行い、被告を思うままに誘導し、その自由な意思決定を阻害し続けた。

(二) 実質的一任売買

被告は、担当者がBのときも事前に注文を取られたことはなく、取引が行われたのちに事後報告を受けていただけであり、担当者がCのときも、それまでの損を責任をもって取り返すから任すように言われ、実質的に取引を一任していた。

(三) 手数料稼ぎのための無意味な取引の反復

被告を担当していたB及びCは、被告の信頼を裏切って、手数料稼ぎの無意味な取引を反復した。このような取引は、新取引所指示事項において、委託者の十分な理解を得ないで、短期間に頻繁な売買取引を勧めることとして禁じられている。

(四) 被告の意思を無視した仕切り拒否

被告は、平成四年八月二一日にツガミ二万株を追証として預託してから、Bに全玉手仕舞いを求めた。しかし、Bは、あれこれ理由をつけて被告の要求をはぐらかし続け、仕切りを実行しなかった。そして、被告はBに対し、同月二六日にも全玉手仕舞いを求めたが、Bは被告の要求をきちんと受け止めず、手仕舞いをするとの返事をしなかった。

(五) 無断売買―――その1

被告は、平成四年八月下旬以降、全玉手仕舞いを求めていたのであり、新たな取引を行う意思は全くなかったもので、同月三一日ないし同年九月七日にかけてBが行った合計一〇〇枚の売建ては、無断売買である。

(六) 無断売買―――その2

Bは、平成四年九月二二日、被告に無断で、買建玉五〇枚を仕切り、かつ、二〇枚の売玉を建てた。

4  抗弁に対する認否

抗弁(一)ないし(五)の事実は否認する。同(六)の事実は認める。そして、抗弁の主張は争う。

5  再抗弁―――抗弁(六)に対して

平成四年九月二一日、小豆が高騰して追証不足となったため、被告は、五〇枚の買玉を建てて両建てにしたところ、同月二二日、一転して急落した。このため、Bは、被告に何度も電話をかけたが、被告の所在がつかめず被告と話ができなかったので、被告の利益のために、自己の判断で、買建玉五〇枚を手仕舞いし、二〇枚の売玉を建てたものである。その日の夕方、Bは、被告に対し、右の事情及び理由を詳しく説明し、納得してもらった。したがって、被告の注文によらない右手仕舞い及び売建玉については、追認があったものというべきである。

6  再抗弁に対する認否

再抗弁事実を否認する。

二  反訴について

1  請求原因

(一) 当事者

(1) 被告は、a接骨院という名称で接骨業を営んでいる。

(2) 原告は、国内公設市場における商品先物取引の受託等を業務目的として、昭和四一年一月一四日に設立された株式会社であり、名古屋穀物砂糖取引所などに加入している商品取引員である。

(二) 取引の概要

(1) 被告は、平成四年八月五日ころY名義で、同年一〇月二日ころa接骨院名義で、名古屋穀物砂糖取引所等の商品市場における売買取引の委託に関する約諾書一通ずつに署名押印し、これらを原告に差し入れて、それぞれ原告との間の取引を開始した。

(2) 被告は、原告に対し、別紙(一)預託返戻金一覧表のとおり、現金及び有価証券を預託し、又はその返戻を受けた。

(3) 被告は、原告に委託して、一覧表A(小豆)及び一覧表B(乾繭)のとおり、商品先物取引を行った。

(三) 原告従業員の違法行為

原告従業員であるB及びCは、被告の原告に対する売買取引の委託に関し、前記一3記載のとおりの違法な勧誘行為、違法な売買取引をした。

(四) 責任及び因果関係

(1) 原告従業員であるB及びCは、故意又は重大な過失により、以上のような違法な勧誘行為、違法な売買取引により、被告に対し後述の損害を発生させた。右担当者の行為は分断してとらえるべきではなく、当初からの一連の行為を全体として、被告に対する不法行為とみるべきである。

(2) 原告は、被告に対し、組織体としての企業活動において不法行為をしたものであるから、民法七〇九条の責任を負う。

(3) 仮にそうでないとしても、原告は、B、Cらの使用者である。そして、B、Cらが原告の事業である商品先物取引の勧誘行為及び売買取引について、被告に対して不法行為により損害を与えたのであるから、原告は、民法七一五条一項の責任を負う。

(五) 損害

(1) 物的損害 四四五二万二〇〇〇円

被告が原告に対して預託した別紙(一)預託返戻金一覧表の預託金七〇〇万円(ただし、返戻金三〇〇万円を控除した金額である。)と有価証券総額三七五二万二〇〇〇円(ただし、金額は別紙(二)株式目録記載のとおりである。)との合計額

(2) 精神的損害 五〇〇万〇〇〇〇円

被告は、本件取引に引きずり込まれ、人間不信、自責の念、周囲への配慮に苦悶し、弁護士への相談と法的手続を余儀なくされた。被告の被った右苦痛や負担を慰謝するには、五〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 五〇〇万〇〇〇〇円

本件事件を解決する弁護士費用は、名古屋弁護士会報酬等基準規程によれば、五〇〇万円を下ることはない。この弁護士費用も前記不法行為と相当因果関係のある損害である。

(六) よって、被告は、原告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、五四五二万二〇〇〇円及びこれに対する不法行為終了の日である平成五年一月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)については、引用した前記一3(一)ないし(五)の事実は否認する。同(六)の事実は認める。

(四) 同(四)の主張は争う。

(五) 同(五)の事実は否認する。

3  抗弁

前記一5に記載のとおり、被告は、原告に対し、平成四年九月二二日の無断売買を追認した。

4  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第三証拠

訴訟記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  本訴について

1  当事者

請求原因(一)の事実は、当事者間に争いがない。

2  小豆の委託取引関係

請求原因(二)の事実は、(1)の枚数の点を除いて、当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第一号証の一、二及び弁論の全趣旨を総合すれば、右枚数が七三〇枚であり、売りと買いの区分、建玉の日及び節、売買代金額、枚数等の詳細は一覧表A及び一覧表Bのとおりであることが認められる。

3  Y名義の取引口座の精算

請求原因(三)の事実は、当事者間に争いがない。

4  a接骨院名義の取引口座の精算

請求原因(四)の事実は、当事者間に争いがない。

5  抗弁の信義則違反の主張について

(一)  抗弁につき判断するに当たり考慮すべき事情として、前記当事者間に争いのない事実、前記認定事実、成立に争いのない甲第五号証、第六号証の一、第一一号証、乙第一七号証、証人B及び同Cの各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次のとおりの事実が認められる。

(1) 被告は、昭和三七年○○月生まれで、原告との取引を始めた平成四年八月当時、満三〇歳であった。昭和五六年三月にb高校普通科を卒業して、a専門学校に進学し、昭和五八年三月に同校を卒業後、同年五月から父の経営するa接骨院に勤務するようになり、昭和六二年ころから、被告が同院を経営するようになった。被告は、平成三年三月に結婚したが、平成四年一〇月に離婚した。住まいは父の持ち家に家賃を払って住んでいた。

(2) a接骨院の平成四年の売上は二五〇〇万円くらいあったが、家賃、人件費、機械償却費等の経費を差し引いた所得は、約五〇〇万円であった。当時、被告が有していた流動資産は、預金と車とを合わせて五〇〇万円くらいであった。

(3) 被告は、商品先物取引の受託等を業とする中部第一商品株式会社(以下「中部第一商品」という。)との間で、平成三年八月下旬ころから平成四年一〇月ころまで、毛糸、綿糸、小豆などの商品先物取引を委託する取引を継続して行っていた。この間、被告は、中部第一商品に対し、委託証拠金として、現金及び有価証券を合わせて総額三八〇〇万円くらい預託した。そして、被告は、数千万円の損害を出して、中部第一商品との取引を終了した。なお、平成四年八月以降は原告との取引が平行して行われていたが、被告は、原告に商品先物取引を委託するようになったのちは、中部第一商品において新規に建玉をすることはなかった。被告は、中部第一商品との取引のために、銀行や知人から借金をし、家庭生活も仕事もおかしくなって苦しい思いをしたが、中部第一商品との取引自体については納得している。

(4) 被告は、別紙(一)預託返戻金一覧表のとおり、委託証拠金として、現金及び株式を原告に預託していたが、このうち自己資金は現金五〇〇万円であり、現金三〇〇万円及び株式は両親から借り受けたものであった。株式は、中部第一商品に預託していたものを返還してもらい、原告に預託しなおしたものであった。

(5) 全国の商品取引所が「商品取引員の受託業務に関する取引所指示事項」として一四項目の禁止事項を定めている中に、不適格者等の勧誘という項目があるが、被告は、この勧誘を禁止される不適格者には該当しない。また、過去において、商品取引を行った経験を有し、商品取引の方法を熟知している者は、商品取引所が審査して継続的売買取引関係者と認定すると、委託証拠金の受払につき、一つの建玉が決済される都度行われる原則が緩和される特例が、制度として存在し、その認定をするためには、① 過去において少なくとも一年以上商品取引業務に従事した者等その経歴から見て商品取引の方法を十分熟知していると認められる者、② 三か月以上同一商品取引員において反復(建玉決済回数が四回以上)して相当量(三〇枚以上)の売買取引をしている者、③ 過去において同一商品、同一取引員を問わず相当回数(八回以上)の売買取引の決済をしたことのある者という要件のいずれかを満たすことが必要とされているところ、被告について右認定の手続は取られていないものの、被告は、少なくとも②及び③の要件を満たしている。

以上のとおり認定することができるところ、この認定事実によれば、被告は、原告と取引を開始した平成四年八月当時、商品先物取引による損失の発生を身を持って体験して、その危険性を身に沁みるほど十分に認識していたことが認められ、また、商品先物取引について実際にどの程度の知識を有し、実務にどの程度習熟していたかはさておいて、保護育成が必要な新規委託者の域を脱して、商品取引を十分に熟知していると見られてもやむを得ない程度の経験を積んでおり、更にまた、その大部分は両親の所有に属するものではあるけれども、商品先物取引のために相当額の資金を自由に運用することができる立場にあったものというべきである。

(二)  自由な意思決定を阻害する不当な勧誘

抗弁(一)の事実に沿う証拠として、被告本人尋問の結果中に、(1) Bは、被告に対し、商品先物取引の勧誘をするに際して、中部第一商品に比べて原告にはしっかりとした情報が入るので、中部第一商品の相場観が外れることがあっても、原告は百発百中で利益を上げている旨を述べたこと、(2) Bは、自己が担当する顧客の損益を記載する帳面を被告に見せて、その全員が利益を上げている旨説明したこと、(3) Cは、被告に対し、まだ経験が浅く豊橋市で勤めているBと本社の本部長である自分とでは、情報の入って来る正確さが違うから、この先自分に任せてくれれば、Bの担当によって発生した損害を取り返すことができる旨を述べたことを供述する部分が存在する。

しかしながら、BとCは、各証人尋問において、右の供述内容を明確に否定する証言をしており、前記(一)に認定説示した諸事情に照らすと、被告がB及びCのいわゆるセールストークをそのまま鵜呑みにして商品先物取引の委託をするとは容易に考え難く、裏付けとなる的確な客観的資料が存在しない以上、被告本人尋問の結果中の右供述部分だけでは、抗弁(一)の事実を認定するには証拠が足りないといわざる得ないところ、他に右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  実質的一任売買

抗弁(二)の事実については、被告本人尋問の結果中に、これに沿う供述部分が存在するけれども、裏付けとなる的確な客観的資料は存在せず、前記(一)に認定説示した諸事情、右供述部分と反対趣旨の証人B及び同Cの各証言に照らすと、右供述部分はたやすく採用し難く、他に右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  手数料稼ぎのための無意味な取引の反復

抗弁(三)に関して、前記2に説示のとおり、被告が原告に委託した商品先物取引の詳細は、一覧表A及び一覧表Bに記載のとおりであることが認められるところ、その取引の状況が原告の手数料稼ぎのために行われた無意味な取引の反復であることを認めるに足りる証拠は存在しない。

(五)  被告の意思を無視した仕切り拒否

抗弁(四)の仕切り拒否に関して、被告本人尋問の結果により、被告訴訟代理人が被告から事情を聞いてまとめたものであることが認められる反訴状添付の取引経過書において、被告は、次のとおり主張していた。すなわち、(1) 被告は、平成四年八月三一日、被告の職場に訪問したBに対し、手仕舞いを提案したが、Bの強引な説得に押し切られて手仕舞いができず、なお、その際、被告は、Bから預託金三〇〇万円の返戻を受けて、これを父からの借金三〇〇万円の返済に当てたこと、(2) 被告は、同年九月一日、被告の職場を訪問したBから、相場が見込み違いの高値に動いていることを聞いて、そのまま取引を続けてよいか心配になったけれども、Bのしつこい強引さに押し切られて、そのままになってしまったこと、(3) 被告は、同月二日、被告の職場を訪問したBから、その日もストップ高になって相場は手のつけられない状態である旨を聞いて、この日は、断固とした態度で明確に、Bに対し、建玉のすべてを手仕舞いにするように指示したこと、(4) 同月三日、被告が職場からBに対して電話をかけ、手仕舞いの確認をしたところ、Bはその勝手な判断でいまだ手仕舞いをしていない旨を答えたので、被告は、Bに対し、再度、建玉全部の手仕舞いを指示したことを主張していた。

しかしながら、証人Bの証言により真正に成立したものと認められる甲第一九号証の一、成立に争いのない甲第一九号証の二、証人Bの証言、被告本人尋問の結果によれば、被告は、同年八月二七日から同年九月二日かけてアメリカに滞在していたこと、その間、被告は、Bに対し、同年八月二七日、二八日、三一日、九月一日、二日の五日間に一三回にわたり、コレクトコールによる国際電話でBと話をしていること、被告は、Bに対し、その国際電話で、そのとき行っていた岡地証券の株式取引を清算するために、原告から三〇〇万円を返却する手続をして、これを同証券に対する損金の支払に当てるように依頼し、Bは被告のこの依頼に応じて右三〇〇万円を右証券会社に届けていること、このように被告が自己の職場において、又は自己の職場から電話をかけてBに手仕舞いを申し入れたと主張する日には、被告は自己の職場にはいなかったことが認められる。

そうしたところ、被告は、証拠調べの進行に従って被告の記憶違いや記憶のあいまいな点が明らかになってきたとして、抗弁(四)のとおり、被告は、平成四年八月二一日にツガミ二万株を追証として預託してから、Bに全玉手仕舞いを求め、渡米直前の同月二六日にも同様に全玉手仕舞いを求めたが、Bはこれに応じなかった旨を述べて主張を改め、本人尋問においても、同様の供述をしている。

しかしながら、本件訴え提起の二年ほど前の、建玉全部の手仕舞いという重大事に関する右のような主張の変遷は、当初の主張が相当に具体的なものであったこととあいまって、きわめて不自然であるとの印象を免れることができず、何か話を作っているのではないかとの疑いをどうしても打ち消すことができないのであって、抗弁(四)の事実に沿う被告本人尋問の結果はたやすく採用することができない。他に右抗弁事実を認めるに足りる証拠はない。

(六)  無断売買―――その1

抗弁(五)の主張は、被告が平成四年八月下旬ころから手仕舞いを求めていたことを前提とする主張であるが、この前提事実を認めるに足りる証拠がないことは、前記(五)において認定説示したとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。

(七)  無断売買―――その2

(1) Bが、平成四年九月二二日、被告に無断で、買建玉五〇枚を仕切り、かつ、二〇枚の売玉を建てたとの抗弁(六)の事実は、当事者間に争いがない。

(2) そこで、再抗弁の追認の主張について検討するに、成立に争いのない甲第一四、第一八、第二五号証、証人B及び同Cの各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、平成四年八月一三日以降、相場は、下げを予想して売建玉一辺倒で取引をしていた被告の見込みに反して、上げの方向で推移していたため、被告は、原告から何度も追証拠金を預託するように求められたこと、そのため、被告は、Bと相談して、同年九月二一日、いわゆる両建にして相場の動向を見守るとの方針を取り、そのとき有していた一五〇枚の売建玉の一部に対抗する五〇枚の買玉を建てたこと、ところが、皮肉にも、その翌日の二二日に、相場が急落してストップ安(前日に比べ値段が五パーセント動いたら、ストップ高、ストップ安とし、それを超える値はつけさせないことになっている。)になってしまったこと、Bは、そのような相場の動きを知らせて善後策を講じるために、何度も被告に連絡しようとしたが果たせず、被告に無断で、前日の買建玉五〇枚を処分し、二〇枚の売玉を建てたこと、その日、被告は、立会時間が終わったころ、原告に電話をかけ、電話に出たCから右の買建玉の処分を聞かされ、非常に驚いたこと、そのあと、その日のうちに、Bは、被告に電話をかけて、右無断売買をした事情を説明し、被告の利益になった旨を強調して、納得してもらえたものと思ったこと、同月二四日には、被告は、原告に対し、追証拠金として、NTTの株式九株を預託したので、Bは右無断売買につき被告の事後承認が得られたものと受け取ったことが認められる。

(3) しかしながら、証人B及び同Cの各証言、被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、Bの前記無断売買に強い不満を抱いており、Bの説明を納得したものではなかったこと、被告が無断売買の翌々日にNTTの株式を原告に預託したのは、証拠金の不足を理由に原告によって建玉全部を処分され、その時点における多大な損失が確定してしまうのを恐れたためであり、被告は、B及びCに対し、その後も、右無断売買に対する善処を求めつづけていたこと、その対応策として、Bは被告の担当から外れ、本社の営業部長のCが被告の取引を担当することになったこと、Cは、被告が全建玉を処分して、いったん商品取引から手を引くようにするのがその時点における最もよい方策と考えたが、前記無断売買にからめて原告に善処を求める被告の意向を考慮せざるを得ず、被告に対し、これまでのY名義の口座を凍結しておいて、新たに被告が個人経営しているa接骨院名義の口座を開設することを勧め、自己が直接被告を担当して、それまでに発生した損失を取り戻すべく努力することを約束したこと、被告は、Cの提案を受け入れ、平成四年九月三〇日、売建玉一七〇枚のうちの八五枚を手仕舞いして、新たに八五枚の買玉を建てて、売り買い同数の完全両建にして、Y名義の口座にそれまで以上の損失が発生しない状況を整えたうえで、原告に対して新たにa接骨院名義で商品先物取引の委託を申し込み、同年一〇月七日、委託証拠金として、現金二〇〇万円、豊田合成の株式一〇〇〇株及び伊藤ハムの株式二〇〇〇株を預託したこと、原告は、右新口座の開設の当たって、被告から、「Yの口座とa接骨院の口座は同一である事を、証明します。」と記載した同月八日付けの書面を差し入れさせ、新口座に利益が生じた場合に、被告がその利益を旧口座の損失の穴埋めに当てないでその払い戻しを求めるような事態にならないような手だてを講じていること、さらに、CとBは、被告をなだめるために、右の新たな口座の開設のほかに、同人らの誠意の証として一か月合計五万円を同人らが個人的に被告のために預託する旨の約束をし、同年一一月一一日及び同月三〇日の二回にわたってこれを実行したことが認められる。

(4) そこで、右(2)の認定事実と右(3)の認定事実を対照して検討するに、被告は、Bの前記無断売買を無条件で許したものとまでは認め難く、Cが担当することになったa接骨院名義の口座に利益が生じてY名義の口座の損失が穴埋めされるような状況が生まれればともかく、新たな右口座も結局損失が発生したまま閉じられたことにつき当事者間に争いのない本件においては、再抗弁の追認並びに事後承認の事実を認めるには、いまだ証拠が足りないと判断するのが相当である。

(八)  右(一)ないし(七)の認定説示を総合して、抗弁の信義則違反の主張について検討するに、抗弁(一)ないし(五)の違法行為を認めるには証拠が不十分であり、抗弁(六)の無断売買の違法行為の存在だけが認められるところ、原告は、右無断売買に関して、被告の意向を汲んだそれなりの対応策を取っているのであって、後に検討する原告の被告に対する不法行為の成否の問題はさておいて、信義則に基づいて原告が被告に対して有する請求原因の損失金支払請求権の行使を許さないとする必要があるほどの強度の違法性があったことを認めるには至らないと判断するのが相当である。

したがって、被告の抗弁の信義則違反の主張は採用できない。

6  結語

よって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

二  反訴について

1  当事者

請求原因(一)の事実は、当事者間に争いがない。

2  取引の概要

請求原因(二)の事実は、当事者間に争いがない。

3  原告従業員の違法行為

前記一5に認定説示のとおりであるから、これを引用する。

すなわち、被告が前記のとおり主張する、自由な意思決定を阻害する不当な勧誘、実質的一任売買、手数料稼ぎのための無意味な取引の反復、被告の意思を無視した仕切り拒否、無断売買(その1)の各違法行為については、これを認めるための証拠が不十分である。

これに対して、無断売買(その2)の違法行為は当事者間に争いがない。すなわち、Bは、平成四年九月二二日、被告に無断で、買建玉五〇枚を仕切り、かつ、二〇枚の売玉を建てた。

そして、右無断売買に関連して、前記一5(七)に認定説示したところによれば、Cが被告と相談して平成四年一〇月初めころに開設したa接骨院名義の口座は、実質的に見るとY名義の口座と同一性のある被告の取引口座であること、したがって、原告は、被告が平成五年一月一二日に建玉全部を手仕舞いするまでの二か月あまりの間、委託証拠金が不足するまま、損金の発生していた一七〇枚の建玉を両建の状態で維持したうえ、新たに五〇枚の建玉を被告から引き受けたこと、被告との取引は、遅くとも平成四年九月三〇日時点で、いったんその全部を終了させるのが妥当な対応であったことが認められる。委託証拠金が不足する状態での商品先物取引の受託が常に違法行為になるとまではいえないとしても、本件においては、右認定事実に、前記認定説示にかかる無断売買以降にCが被告の取引を担当するに至った一連の経緯を併せ考えると、Cがa接骨院名義の口座を開設して被告から商品先物取引を受諾した行為は、違法であると解するのが相当である。

4  責任及び因果関係

原告は、その従業員が業務上なした前記無断売買及び取引口座開設の違法行為による被告が被った後記損害について、民法七一五条に基づくこれを賠償すべき責任がある。

5  損害

(一)  物的損害 九二二万一三〇一円

(1) 前記認定事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、別紙(五)「番号38~41の実際の取引結果と平成4年9月30日前場2節で仕切った場合との比較」のとおり、Bが平成四年九月二二日に買建玉五〇枚を無断で仕切ったことにより一六五万一九三七円の損失が生じたこと、Cに担当が代わって八五枚ずつの両建とされた同月三〇日まで仕切られずにいた場合には二八四万四〇六三円の利益が生じたこと、したがって、Bの右無断売却による差引損害金は合計四四九万六〇〇〇円となることが認められる。

(2) 前記認定事実及び弁論の全趣旨を総合すれば、一覧表A番号42のとおり、Bが平成四年九月二二日に無断で二〇枚の売玉を建てたことによる損害は二〇〇万七九六三円であることが認められる。

(3) Cが担当するようになって開設したa接骨院の口座に生じた損失金等の損害が合計二七一万七三三八円であることは、当事者間に争いがない。

(二)  精神的損害 〇円

前記認定説示にかかる諸事情を総合して判断すれば、右物的損害に対する賠償のほかに、被告の精神的苦痛に対する慰謝料を支払うことが必要であるとまではいい難いと解せられる。

(三)  弁護士費用 九〇万〇〇〇〇円

前記認定説示にかかる諸事情を総合して判断すれば、B及びCの前記違法行為と相当因果関係があるとして賠償の対象とすべき弁護士費用は九〇万円であると認めるのが相当である。

6  よって、被告の反訴請求は、民法七一五条に基づき、前記損害合計一〇一二万一三〇一円及びこれに対する違法行為があった最後の日である平成五年一月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田守勝)

〈以下省略〉

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